いろは歌





 今日も今日とて、夢を見ている。周りを見渡して、いつもの場所に居ることを確認してから、日本が居るであろう場所を探しに歩き出した。
 敷かれた石の上を、ぺたぺたと歩いていると、の頭に一つの疑問が浮かんできた。
 ──今、って何年なのだろう。

 少なくとも、稲が……と言っていたのだから、弥生時代は過ぎている、のかな。もしくは弥生時代の中盤? まあ、稲が伝来した後だよね。
 んー? だとしたら、何時だろう。なんだか、情報が少なすぎて、なんとも言えない。


 そんな事を考えていると、何処からか声が聞こえてきた。日本の声だ。
 何を言っているのかはあまり聞き取れない。多分、小さな声だからだろう。
 小さな声なのに、聞こえるということは、の直ぐ傍に日本が居るという事だ。
 は、その声が聞こえてくる方向へと、歩を進めた──。




「……浅き夢見じ 酔ひもせず」

「にほーん」

「っ!?」




 少しの茂みを掻き分けたところに、日本は立っていた。着物を着ている。には背中を向けて、何かを朗読していた。
 んー、なにを朗読しているんだろう。そんな疑問を抱えつつ、日本に声をかけたら勢い良く振り向かれた。おあ、どうしたんですか。

 日本は驚いたような表情を浮かべていたのだけれど、と目が合うと直ぐに表情を柔らかくさせ、「さん……」と優しくの名前を呼んだ。
 やー、可愛いなあ。緩みそうになる頬を何とかして抑えつつ、周りを警戒しながら日本に近づく。

 周りを警戒しているを不思議に思ったのか、日本は「……どうしたんですか」と問いかけてきた。




「いや……、中国に見つかったら、また怒られそうな気がするから……」

「中国さんに、ですか。大丈夫です。中国さん、今は居ませんから」

「へ、あ、そう……え?」




 日本に平然と返されて、言葉を失った。いや、……なんていうか、日本のことを弟のように慕っている中国が、日本の傍を離れるなんて。有り得ない、とまではいかないけれど、驚いた。
 日本はいつもの表情──つまりは無表情になり、「お仕事をなさっているそうです」と呟くように言う。




「へ、え、お仕事、ですか……」

「そうです」

「ってことは、日本、一人なの?」

「はい」




 きっぱりと、そう言われた後、「あ、違いますね」と続けられた。何が違うのだろう。
 日本はの方を見て、「さんも居ますから、今は二人です」と嬉しそうに笑った。あ、そういう……。って、も、もう……! 可愛い! どうしよう子供こんなに好きだったっけ、

 にへにへと笑みを浮かべつつ、「そっかー、そうだねー」と呟いて、日本の頭を撫でた。
 綺麗な黒髪は、本当にさらさらとさわり心地が良い。日本もされるがままになっている。
 
 少ししてから手を離して、日本と同じ目線になるように屈む。




「ねえ、日本。いま、暇?」

「……はい」

「だったら、一緒に遊ぼう。良いかな?」

「はい」




 の誘いに、一瞬だけ日本は驚いたような表情を浮かべたが、直ぐに嬉しそうな笑みに変わり、返事をした。

 んー、子供は素直で宜しいよ! うん。
 相変わらずにやけそうになる頬を必死で抑えて、「何するー?」と問いかける。
 すると、日本は少し考えた後、「──蹴鞠、したいです」と返してきた。

 ……蹴鞠? 蹴鞠、ってあの、貴族の遊び?
 鞠を蹴るやつだよね。え、やったこと無いんだけど……。




「け、蹴鞠、ですか……」

「はい。駄目ですか?」

「えっ、いや、駄目ってことはないよ! けど、あの、……ごめん、やりかた知らなくて」

「そうですか……。でも大丈夫です」

「……大丈夫って?」

「私が教えます。待っていてください」




 日本はそのまま、踵を返し走っていった。ま、マジか……! え、いや、でも、こういう日本の昔の風習に触れられるのって、あんまりない経験だし、それに日本が教えてくれるのだから、きっと楽しめるだろう。
 そんな事を考えつつ、日本の走っていった先をぼーっと見つめていたら再度、疑問が浮かんできた。


 ……いま、本当に何年なのだろう。
 蹴鞠って言ったら平安時代しか思い浮かばないけれど……、もしかしたら違うのかもしれない。だとしたら、いつの時代だろう。
 まあ、考えてもどうしようもないことだ。には出来る事は何も無い。何をすることも出来ないのだから。

 そこで考えを打ち切ったと同時に、日本が駆け寄ってくるのが見えた。手には靴、とそれから鞠のようなものを持っている。
 も日本に近寄っていく。日本は走ってきたからなのか、少し息を荒げさせつつ、




「──これが、鞠です。そしてこれが、鞠を蹴るための靴です」

「靴? 靴なんてあるんだ」

「はい。……あの、多分、合うと思うのですけれど……。履いてみてください」

「うん」




 日本が差し出した靴を取り、履いてみた。うん、まあキツイけれど、大丈夫だろう。
 日本に「大丈夫だよー」と足を動かして見せると、「……そうですか」と、ほっとしたように言われた。


 その後、蹴鞠が始まったわけなのだけれど。
 日本は懇切丁寧にいろいろと教えてくれたあと、「ようは蹴って空に上げるんです」と言いきった。し、シンプルっつーかアバウトっつーか……。
 簡単に言われたものの、凄く難しい。どれくらい難しいか、って言葉では言い表せられない。
 鞠は硬いから、蹴るたびに靴を通して衝撃が来る。まあ、そんなに痛くないけれど。
 それに、上げるのって難しい。なんていうか、日本の方へ行くように蹴ったはずなのに、見当違いのところへ行ったりする。
 
 ……あれ、運動は一応、人並みには出来るはずなのになあ……。
 見当違いのところへ行った鞠を追いかけ、蹴ってはやっぱり追いかけを繰り返していたのだけれど、それを何回も繰り返した頃だろうか。疲れ果て、体力が無くなってきた。

 今までは全力で鞠を蹴っていたのだけれど、今は全力で蹴る気力が無い。だれか、気力を分けてください。そんなことを思いつつ、力の抜けた足で日本が上げた鞠を蹴る。すると、なんだか自分の思う方向へと鞠が飛んで行った。

 おあ、嬉しいなあ! そっか、あんまり力入れなくても良かったんだ。……速めに知りたかったなあ……。

 妙な脱力感に襲われつつ、日本が嬉しそうに「さん」との名前を呼んで、またもや返してきた鞠を上げる。今さっきのように、力を抜いて蹴ると、それは面白いくらいに空へと上がった。なんだか、少しは変な方向へ飛んで行くのが回避できるようになったようだ。

 なんていうか、自分の思った通りの方向に行くってそれだけでも嬉しい。それに、力の抜き加減もだんだんとわかってきて、なんだか凄く楽しい。
 四苦八苦しつつも、日本との間で何回も鞠を行ったり来たりさせることが出来た。嬉しいなあ。
 何十回も続けることが出来たときには「うわっ」とあまりの嬉しさに声を出してしまい、足元が狂ってミスをしてしまった。アホ極まりない。

 けれど、どうやら日本も少し疲れてきていたようで、そこで一旦、蹴鞠は終了した。


 ミスをしてしまったせいで、地面をころころと転がっている鞠をは手に取る。固い。まあ、それはそうだろう。
 こんなの蹴ってたのかー、なんてぼうっと考えていたら、日本が何時の間にやらの近くに来ていたようだ。
 微かに頬を赤くさせつつ、「凄いですね……、上手です。もっと練習をすれば、名足になれますよ」と言葉を弾ませる。
 お世辞だとしても、嬉しいなあ。そう思って、「ありがとう、日本はやっぱり上手だねー。凄いよ。なんかもう、こう……、なんていえば良いのかな、格好良かったよ!」と言うと、頬に微かに朱をさしながら、「有難うございます…」と日本は腰を折った。




「──それにしても、面白いね。蹴鞠って」

「……そうですね。とても、面白いですよね」

「うん。教えてくれて有難う。すごく楽しかったよ」

「いえ……、楽しんでいただけたようで、私としても嬉しいです」

「あはは。ね、また、色々と教えてね」

「はい」




 日本はやっぱり、きっぱりと淀みなく、声を出す。なんだろう、淀みなく言い切られたことが、なんだか嬉しくてもう一度「有難う」と呟いた。
 すると日本は「……こちらこそ」と、嬉しそうに言葉を返してくれた。
 それにしても、とは考える。が来たとき、日本が朗々と声を出して読んでいた、……あの文。あれって、なんなのだろう。
 疑問が頭に浮かび、それは消えることがなかった。しょうがないので、「ねえ日本」と名前を呼ぶと、日本は「なんですか」と首をかしげた。




「んー、あのさ、あの……浅き夢見じ 酔いもせずって……」

「いろは歌です。知りませんか」

「んえ、いろは歌? ん、えーっと……」




 聞いた事があるのだけれど、なんだか思い出せない。「んー?」と怪訝そうな声を出すと、日本はふ、と微笑み、言った。




「──色は匂へど、散りぬるを 我が世誰ぞ、常ならむ
 有為の奥山、今日越えて 浅き夢見じ、酔ひもせず……。
 新義真言宗の祖の言葉です」

「……へえ、あー、うん。なんか聞いたこと、あるよ」

「そうですか。意味は、知っていますか?」

「んえっ、意味!?」

「そうです」




 「どうです?」と首を傾げて聞いてくるのは可愛いのだけれども、いろは歌の存在は知っていても、意味までは知らないので、無邪気に訊いて来る日本が鬼に見える。
 「ごめん、わかんないよ……」と、小さく呟くと、日本は「そうですか」と、抑揚をつけずに言い、「意味は」と続けた。




「桜の花の色は照り映えるけれど、散ってしまう。人の世も誰が、一定不変であろうか。
 無常のこの世はいわば越えがたい深山のようなものだが、それを今日越えていく。
 浅い夢でも見るように、移り変わる眼前の自称に惑わされまい。
 酔ってわけもわからず生涯を送ることもするまい、です」

「へ、へええ……。よく覚えているね……」

「まあ、一応……私の文化ですから」

「そっか。いや、でも凄いね。意味とかはあんまり知らなかったよー」

「……そうですね。こういうものは廃れていくものですから」




 そう言って、日本は視線を空へと向けた。空には何も無い。いや、雲ぐらいならあるけれどさ。
 少ししてから視線を下へと戻し、日本は「古いものは、新しいものにより、無くなっていくものです」と少し寂しそうに呟いた。なんだろう、それが何か不安のような物を背負っているみたいで、思わず声を出してしまった。




「そう?」

「そうですよ」

「そんなこと、無いよー。温故知新、って言う言葉もあるし。
 古いものは古いもので無くならないと思うけれど、ね」

「そうですか?」

「うん! だから、なんか知らないけれど、そんな不安そうな顔をしないっ。
 何かあったらお姉さんが聞いてあげるよー」

「……私、これでも多分、さんよりは年上だと思うのですけれど」

「えっ、やっ、まあ、……うん」




 思わず言葉を濁してしまう。いや、年については……の方が年下だけど……。
 なんだろう、慰めようとしたのだけれど空回っている気がする。
 「う、いやー……あの」と言葉をしどろもどろに続けていると、日本が一瞬だけ、笑い声を漏らし、「……冗談です」と呟いた。

 日本の笑い声なんて、一度も聞いた事が無かったので、思わず行動を止めてしまう。すると日本が不安そうに「どうかしましたか」と問いかけてきた。




「えっ、や、あの! なんでも無いよー別に」

「そうですか? なら良いのですが」

「……あはは、ねえ、日本」

「なんですか?」

「日本は笑ったほうが可愛いよ」

「……嬉しく思っても良いのかどうなのか、よく分かりませんが、有難うございます」




 日本は苦笑を浮かべた。そこに、不安の色は見えなかった。




続く。

終わり方が。蹴鞠については調べました。鞠は家にあるのですが、か た い !
いろは歌については……。…………別に必要のない場面ですけれどね。
時代的には鎌倉時代。
日本と仲良くなった後は色々なところを回ります。

2007/08/17