繋がる手から



 千八百八十三年、十一月二十八日──日本は、その夜、鹿鳴館に居た。欧米化に感化され、外国賓客のため、つくられた迎賓館。そこには、日本の知らない曲が流れていて、日本の知らない踊りを皆が踊っていた。
 日本は壁にもたれかかり、溜息をついた。



(こんなの、知りません……)



 あの、美しい郷愁を感じさせるような、独特の音楽は何処へ行ったのだろうか。招かれた人々は皆、安っぽい煌びやかな服を着、知りもしないステップを踏む。
 こんなのは、違う。日本はそう感じていた。こんなの、おかしい。変だ──。そう思ってはいても、何も出来る事がない。日本は、上の人に逆らうことは出来ないのだ。

 重いため息をついていると、女が寄ってきて、日本にダンスを申し込む。だが、日本はそれを断り、その場を逃げるように去った。


 鹿鳴館の外へ出てみると、身体に沁みこむような寒さが日本を襲った。出てきた先を見てみれば、明るい光が漏れている。音楽も、大きな音で流しているからか、外にまで響いていた。
 これは、近隣の住民に迷惑ではないだろうか──。そうは思ったものの、日本は伝えることは出来ない。皆、酔っているといっても過言ではないのだろう。欧米の風習に。




「……亡国の兆し、ですか……」




 ぽつりと呟く言葉は最近、国民が頻繁に発する言葉だ。亡国、亡国、亡国──。日本は、近くの街灯にもたれかかり、溜息を再度ついた。それは、中に居たときと違い、白く視界を曇らせた。



(こんな風に)



 このように、日本伝統の風習は廃れていくのだろうか。そう思うと、日本は恐怖を覚える。
 亡国。そう言われているように、日本はいつしか廃れていくのだろうか、と。いつかは、日本と言う存在が、無くなってしまうのでないか、と。

 人が聞いたら杞憂だと笑うだろう。それでも、日本にとっては多大な恐怖へと繋がった──。

 日本は自分の姿を見る。着ろ、と言われて着てしまった──和服ではない、もの。洋服、と言うのだろうか。それは何だか、いつもと違って、変な感じがして、日本は無意識に自身の身体を抱きしめた。

 そのまま、幾らかの時間がたった頃──、目の前の空中に女が現れた。女は「うえっ!? ちょっ!」と変な声を上げ、重力に従い硬い地面へと落ちる。
 日本は、それをぼうっと見ていたが、落ちてきた女が自分の知り合いだと知るや否や、近寄るために街灯から離れ、名前を呼んだ。




さん!」

「いった……、あれ、日本……って、寒ううう!」




 は手を擦り合わせて必死に暖を取ろうとする。日本は「これを」と言い、自分の羽織っていたスーツを脱ぎ、肩にかけてやった。彼女は、いつもの服とは違い袖の無い、とても短い服を着ている。今は、冬。寒いのは当たり前だ。
 は日本を仰ぎ見、「ありがと、日本……」と御礼を述べる。日本は苦笑を浮かべ、「いえ」と一言だけ返した。




「寒いねー」

「そうですね……十一月ですから」

「じゅ、十一!? えっ、うそ!」

「? 嘘ではありませんよ。それに十一月と言っても終りに近いですし……、そのような薄着で来られたことに驚きです」

「えっ、あ、あはは。……うん」




 呆れたように言葉を話す日本に、苦笑を浮かべては言葉を返す。と、は不意に日本から視線を逸らし、鹿鳴館へ目をやる。そして、怪訝そうな表情を浮かべた後、「……あれは……?」と呟いた。
 日本は、いつもの表情を浮かべ、「……鹿鳴館です、知っていますか?」と問いかける。
 「鹿鳴館……」と、日本の言葉を繰り返し呟き、は頷いた。




「知ってるよー。うん、あの……踊りとか、おどる所だよねー?」

「そうです。良く知っていますね」

「えっ、あ、うん。まあね。一応……」




 驚いたようにに視線を向けると、気まずそうに顔を逸らされる。その行動に不信感を覚えつつ、日本は言葉を発した。




「色々な人が、居ますよ。──ステップを踏んで、洋服を着て、笑顔を浮かべて」

「ふうん……。凄いね」

「凄いですか?」

「ん? いや、うん。聞いてはいたけれど、見たこと無かったから」

「そうですか」




 いつの間にか鹿鳴館に向けていた視線を、ふいと苦々しげに逸らす日本を見て、は苦笑を浮かべた。




「日本は、嫌なの?」

「何がです?」

「鹿鳴館。楽しそうだと思うんだけれどなー」

「……嫌ではありませんよ」

「ふうん……。それにしても、なんか、スーツみたいなのも着てるんだね」

「スーツ、……そうですね」

「……踊らないの?」

「下手ですから」




 回りくどい否定の言葉ばかりを口にする日本に、は「そっか」と悲しそうに呟いた。
 その後、「踊るのって楽しいと思うよ」と続ける。日本はに視線をやり、「そういえば」と言葉を発した。




さんは、日本ですよね」

「ん、出身が? うん、そうだよ」

「これが、亡国の兆しだとは思わないのですか」

「へっ、亡国?」

「そうです。欧米の文化に侵食され、いつかは日本という存在さえも無くなってしまう。そうは思いませんか」

「へ、えー……。いや、そうは思わないけれど」

「……何故です?」

「だって、日本は無くならないし。うん」




 きっぱりと紡がれた言葉に、日本は瞠目した。無くならない──、なぜ、彼女はそうはっきりと口に出していう事が出来るのだろうか。国の人々は、口をそろえて亡国と言うのに。
 日本の怪訝そうな表情に気付いたは苦笑を浮かべて、「信じられないー?」と紡ぐ。




「信じられないわけでは有りません、けれど……」

「んー、どうやったら信じてくれるかなー。あ、そう! ってば未来から来た人間なんだよ! うん」

「未来から?」

「そうそう! だから日本の行く末がわかっちゃう訳、うん」

「私の?」

「そう。日本は無くならないよ! 絶対にっ。未来から来たが言うんだから、信じてよ」




 突然、突拍子の無い事を話し出すに、日本は呆気に取られたような表情を見せた。けれど、次の瞬間には破顔し、「そうですか……。未来から」と、おかしそうに言葉を紡ぐ。
 は「ちょっ、信じて! 信じてよ」と怒ったように話すが、それすら今の日本には笑いを深める存在にしかなりえない。




「そう、ですか。未来から」

「ぜ、全然、信じてないね……。別に良いけどさ……」

「いえ、信じていますよ」

「だ、だったら笑うの止めようよ! すごく切ないから!」

「すみません……。そうですね、信じますよ。未来から来たさんの言葉ですから」

「……日本って、酷いね」




 「が猫型ロボットだったら良かったのかな……」と口惜しそうに呟くを見て、日本は笑みを濃くした。



(たとえ嘘だとしても)
(私を慰めようとしてくれた──)



 そう思うと日本の胸には、ぽっと暖かな気持ちが宿る。はいまだにぶつぶつと呟いているが、日本はそれに構わず、近くへ寄り、恐る恐る手を取った。
 手を取るという行為は、人前で滅多にするものではない。そう思っているのだが、これからすることの為には必要な行いだ。



さんは驚くでしょうか)



 そっと触れた手は余りにも暖かかった。日本はの体温だと思ったが、もしかしたら緊張したせいで自分の熱を勘違いしてしまったのかもしれない。

日本の思ったとおり、は言葉を止め、日本の顔を驚いたように見る。その顔があまりにおかしくて、日本は小さく笑みを零しながら、「踊りましょう」と、言葉を発した。




「えっ、踊るの!? むりむり、だってマイムマイムとかしか踊ったこと無いしっ」

「マイムマイム、ですか?」

「うん。っていうか、絶対に踊れない! 日本の足、踏むよ」

「踏んでも良いですよ」

「え、いや、あの。何を言っているのですか」

「踏んでも、下手でも、構いません。踊りましょう。……私も、下手ですから、そんなに気にすることはないです」

「えっ! ちょっ、積極的ですね、日本さんってば!」




 の腰に手を当て、日本は構わず踊り出した。が驚き、足をもつれさせるが、日本はこけそうになるのを支え、ステップを教え始めた。
 数分後、は何とかして日本の足を踏まずに踊ることが出来るようになった。
 だが、腑に落ちないところがあるのか、はぶつぶつと、「無理」「駄目だ……」と呟く。日本は笑みを漏らし、「大丈夫ですよ」と安心させるように優しく呟いた。




「いや、本当に無理なんですけれど……」

「上手になってきていますよ」

「どこら辺が」

「足を踏まなくなりましたから」

「ちょっ……! ……鬼ですね」

「そうですか?」




 嬉しそうに顔を綻ばせる日本とは対照に、はなんとかして足を踏まないよう、下ばかりを見ている。それが何だかおかしくて、日本はもう一度だけ笑みを深くした。

 日本の知らない音楽が流れてくる。鹿鳴館からの光ではなく、街灯の光が道を明るく照らしている。

 ──繋がった手からは、温もりが溢れていた。



(終り)

街灯じゃねー! ガス灯だー! ですね。すいません。
っていうか鹿鳴館の近くがどうなっていたかなんて知りません。すいません。ガス灯はあったのかな。
一人称ばっかだし……と思って三人称にしてみたら訳わからなくなった。もう初心者向けの一人称で良い。


2007/08/28